漫才師「海原やすよ ともこ」は体型も衣装も同じで、どっちがどっちで年齢や体重も一緒?またM-1出場を断った理由とは?大御所の上沼恵美子とはどういった関係?
「海原やすよ ともこ」は どっちがどっち?!
お笑いコンビ「海原やすよ ともこ」は顔立ちが似ていて、漫才の衣装も似ているのでどっちがどっち?となってしまいますよね( ̄▽ ̄;)
この記事を読めばどっちがどっちか迷わなくなるので最後までお付き合い下さい^^
「海原やすよ」のプロフィールを紹介!
本日10/14は、
海原やすよさんの誕生日🎉🎂 pic.twitter.com/ISckpZWPrl— 海原やすよともこnews (@yasutomonews) October 13, 2022
■姉妹 ・・・妹
■立ち位置 ・・・向かって左
■担当 ・・・ツッコミ担当
■生年月日 ・・・1975年10月14日
■血液型 ・・・O型
■出身地 ・・・大阪府 寝屋川市
■趣味 ・・・ショッピング
「海原ともこ」のプロフィールを紹介!
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■姉妹 ・・・姉
■立ち位置 ・・・向かって右
■担当 ・・・ボケ担当
■生年月日 ・・・1971年12月27日
■血液型 ・・・A型
■出身地 ・・・大阪府 寝屋川市
■趣味 ・・・ネイルアート/髪型を変える
コンビ名の「海原」はどこから付いたの??
2人のプロフィールを見ると、お互いに結婚しているので苗字は違うのですが旧姓は「梅本」ですよね。
コンビ名の「海原」はいったいどうして決まったのでしょうか?・・・
2人は幼い頃から漫才をしていて、当時のやすよは田中カウス・ボタンの大ファンでした。
やすよの父が親交があった為、父の紹介でボタンに弟子入りする事が出来てそこで正式にコンビを結成しました。
本来であれば、師匠の屋号を名乗り「田中やすよ ともこ」となる感じですがここで師匠からの提案がありました。
田中を名乗るよりも女流漫才の名門である海原の方がいい。
お婆ちゃんになる「海原お浜・小浜」の小浜に『海原』の屋号を名乗っていいか相談してみなさいと提案されました。
ボタン師匠の粋な計らいに小浜は承諾して、さらに2代目「海原お浜・小浜」を名乗っても良いと提案されましたが・・・やすよ&ともこは断りました (;^_^A
「海原」・「やすよ」・「ともこ」の名前を使ってコンビ名にする事になったのですが、ボタン師匠への師事がやすよが先でともこが後であった事から「海原やすよ ともこ」に決定しました!!
体型の似ている「海原やすよ ともこ」の年齢や体重は?
見ての通り二人は体型も似ていて、若いような若くないような・・・ぽっちゃりスタイルなので少し体重も気になると言う事で、年齢と体重を見ていきたいと思います。
年齢はプロフィールで生年月日も紹介していますが、2024年の時点ではやすよが49歳でともこが53歳と言う事になります。
吉本興業の正式なプロフィールには、身長はやすよが156cm、ともこが163cmと公表していますが体重は公表されていません (;^_^A
スタイルはぽっちゃりスタイルで、身長からイメージすると70kg~80kgの間ではないかと予想されます。
何の根拠もない推測ですが・・・
ともこは、「右ふくらはぎの肉離れ」と「右膝前十時靭帯損傷」で2023年に入院して療養をしています。
これは体重と関係しているのではないかと考えられます(◎_◎;)
ともこは若い頃はぽっちゃりではなく、普通にスタイルはよかったと記憶しています。
出産後、暫く経過してから、ぽっちゃりスタイルになっていったと考えられます。
女性は出産などで色々な変化が体に起こり、年齢を重ねると誰もが代謝が悪くなり体のコントロールが難しくなりますよね( ̄▽ ̄;)
ともこは30代の頃に番組のダイエット企画で、ダイエットにチャレンジしました。
ダイエットの効果は何とマイナス4.5kg!しっかりと結果がでていますね^^
「海原やすよ ともこ」と上沼恵美子との関係は?
12月17日に「M-1グランプリ2023年」決勝の審査員が発表されました。
・松本人志
・中川家・礼二
・ナイツ塙
・サンドウィッチマン富澤
・博多大吉
・山田邦子
・海原ともこ
メンバーを見るといつもの凄いメンバーで、山田邦子さんは2022年のM-1グランプリで審査員に加わり一発目の辛い点数で注目が集まりました。
山田邦子さんは1981年にデビューしたので、今の世代の若者は知らない人が多く、あの人誰?と話題になりました。
今回は海原ともこが審査員に入っていて驚いた人もいるのではないでしょうか?
実は、今まで通算9年に渡って審査員を務めていた上沼恵美子さんが出ていませんが『海原枠』としてともこが審査員を務めたと捉える事が出来るのです。
どう言う事かと言うと、漫才コンビ「海原千里 万里」の千里として活躍していたのが上沼恵美子さんです。
上沼恵美子さんは、海原やすよ ともこのお婆ちゃんになる「海原お浜・小浜」の弟子なんです。
その繋がりで『海原枠』と言う捉え方が出来ます。
「海原やすよ ともこ」は大阪では、圧倒的な人気があり「これ以上ないくらいの適任」や「待ち望んでいた」などの声がSNSであがりました。
「海原やすよ ともこ」はM-1出場を断った?!
M-1グランプリが開催されたのは2001年の事ですが、その最初の年に「海原やすよ ともこ」も出場のチャンスがありました。
吉本の本社の4階に呼ばれて、M-1と言う大会が開催される事になったから出てみないか?と声を掛けられました。
これから始まる大会で、この先どうなるかもわからないので、とりあえず様子を見るという事で二人は出場は辞退しました。
確かにその気持ちわかります(;^_^A
「海原やすよ ともこ」は二人とも納得して辞退を決めたのですが、念のために同期の「中川家」に相談する事にしました。
中川家は「出ぇへん、出ぇへん」と言っていたのに、大会が始まると中川家が出場していたんです!?
会社側に「中川家は出ぇへんと言っていたけど、出たんですね?」と聞くと「今から出る?」と言われて、流石にそれは怖いと思い断ったのですが、あの時、出場すればよかったと後悔しているそうです。
実は中川家も出場する予定はなく、なかば無理矢理に出場が決まったと言う話もあります。
そして、この大会が始まった2001年、M-1グランプリで見事に中川家が優勝を果たしました!!
ちなみに、当時は優勝した翌日は仕事はなくお休みだったそうです。
今ではM-1グランプリで優勝すると仕事のオファーが殺到して寝る暇が無くなるくらいに忙しくなりますが、当時は認知度もなく手探りのような感じだったのでしょうか?
海原やすよ ともこが様子見で出場を辞退した気持ちもわかる気がしますね( ̄▽ ̄;)
もし、第1回目のM-1グランプリに「海原やすよ ともこ」が出場していたら、優勝があったかもしれませんね ^_^;
そんな「海原やすよ ともこ」をこれからも応援したいと思います。
最後まで読んで頂きあえいがとうございました m(_._)m
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